「畑月記 5月」へちまひょうたん
私のいちばん好きな作家、石牟礼道子の『アニマの鳥』という小説に登場する「六助」という名の年老いた小作人。
彼は天草の「小ぉまい畠」を何十年にもわたって入念に手入れし、黄金の麦がひときわ輝く「美しか畠」に仕上げ、その姿に人々は感服する。
「土はふっくり柔らかそうじゃし、小石ひとつなか。」
私のいちばん好きな作家、石牟礼道子の『アニマの鳥』という小説に登場する「六助」という名の年老いた小作人。
彼は天草の「小ぉまい畠」を何十年にもわたって入念に手入れし、黄金の麦がひときわ輝く「美しか畠」に仕上げ、その姿に人々は感服する。
「土はふっくり柔らかそうじゃし、小石ひとつなか。」
これまでの人生で最もゲームをした時期といえば、間違いなく二十代半ば、携帯電話でオンラインRPGをしていた頃になる。仕事もせずに1年以上、毎日12時間近くやっていたように思うが、今考えるとそれはまるで修行のようであり、だが誰にも誇ることのできない圧倒的劣等の時代だった。
勝負を競わない一般的な朗読会と、競うスラムではどこが違うか?というと、一番は「勝ちにいく」意識だろう。初めから負けたいという人がスラムに挑むはずはない。例えば対戦相手のパフォーマンス直後に自分の作品を差し替えるなど、相手次第で自分の手を変えてみたり、出演順が早い人たちの採点を見てその傾向を探ることもあるはずだ。もちろんスラムではない複数詩人の朗読会でも、前の出演者とは違うトーンになるように読む作品の順番を変えるとか、自分の空気を印象づけるために激しいトーンで始めるとか、なんらかのカタチでは意識しているものだが。
...
あっというまにそうなってしまった
たった2年でこうなっちまった
肥大化するマスクは口と鼻、耳や目まで隠して列島全体を覆っちまった
それは、小学校の卒業文集の、ひとことコメントの寄せ書きのテーマだった。
そこに僕は、『ドラクエⅢをクリアーする』と書いた。
まともに結婚できる相手じゃない
結婚したってうまくいきっこない
詩とはいわば、愛人のようなもの
※この原稿は自分が、荒木田 慧さんに「抒情詩の惑星」Best poetを書いてみませんか?と相談して描かれたものです。
シリーズ 短小突貫ヘンタイ式連載
「現代詩とは何かー答える」⑧ (6月号にアップ予定)
「平居謙著作集」のこと‐蜘蛛出版・君本さんの思い出
Lは自撮り棒で宇宙を撮っていた。
センター街のサイゼリヤでテーブル越し、こっそり見せてくれたLのスマホのカメラロールには惑星がいくつも浮かんでいた。Lはほんものだと私は思った。
Lに初めて会ったのは10月の夜の代々木公園だった。自分が描いたのだと言って、Lは柱の壁画を私に見せた。虹をおよぐクジラの絵だった。もうすぐ渋谷に豪邸を買うのだとLは言った。ハーバード大学を卒業したとLは言った。どれもとんでもない嘘だとすぐあとでわかったが、Lの声や語り口はいつも本当のことしか言っていないように私の耳に響いた。
...
会えないのがつらすぎて
画面越しの再会なんて味気ないと
ちいさな小部屋にこもって
やり過ごしていたが
いささか こもりすぎてしまったようだ
主催者側から取材をしてほしいということで受けさせてもらいました。
球を転がして稼ぐおとなはみんなインチキ
と
母が教えたので
私はスポーツを観ない
その延長でギャンブルもしない
そんな奴がゲームをするわけがない
地元の脳外科に行ってびっくり。まさかの脳腫瘍発覚からの続き
病気が見つかってからは何もやる気が起こらず、ずっと検索してた。
聴神経腫瘍とは、その名のとおり聴神経できる腫瘍で、手術した人はほぼ失聴していた。(私ものちそうなった)。
再発して何回も頭を切っている人や合併症で苦しんでいる人のブログなど、10万人に一人の病気といえど、続々出てきた。
有名な人だと女優のスケザネキキさん。
彼女の生き方には励まされた。「人生の山も谷も楽しく」って。
後遺症の失聴、顔面麻痺を乗り越え、海外で活躍してる。
いつも楽しそうな人はいいな。
自分は放射線で治療できるサイズは超えていた、残念。良性の腫瘍だから成長はゆっくりで一年に1ミリづつくらい大きくなるらしい。(ずっと昔からあったんだなあ...私が遊びほうけている時代も。。
...
Every morning,I feel like being still alive and waking up to a new day at my own home is the most privileged and humbling experience for me.
Since the coup on February 1st last year,the junta has been non stop killing and arresting the civilians.Until now,more than 13000 civilians were arrested.
Recently,a 4 year old child...
ファミコンが登場しだしたときというのは、自分が小学校の1年とか2年のときだった。が、うちはMSXだった。ゲームするためのパソコンみたいなもので、キーボードがあって、カセットを挿すところが二つある。3つ上の姉が親に買ってもらってきた。
ドラクエ1はMSX版でやった。やってみたけど、いまひとつ楽しみ方がわからないから、姉がやってるのをうしろから見物していた。傍観だ。
その後、3つ下の弟が親を動かして、ファミコンが導入された。弟は器用でいろんなゲームを攻略していった。それも傍観していた。傍観していてもそれなりに愉しくて満足していた。
...
馬野ミキさんから抒情詩の惑星BESTPOETを選んでほしいと頼まれました。こういうの得意じゃないけどミキさんは友達なんで企画としてやらせていただきます。と書いたのは、(こいつ自主的にやっとるやんけ、どういうテンションで選んでるんねん)と思われたくないからです。では。
私は、関西人です。もっというと関西生まれサードストーン育ちです。したがって平居謙...
あなたが我が子であったとき
アンパンマンというものが
わりとワンパターンでなく
ふつうに面白いと、見てて、思った。
あなたが我が子であったとき
公園には
誰もいないほうが
微風が気持ちいいと、思った。
あなたが我が子であったとき
海の広さが
あなたを飲み込むようで
こわい
海水浴、と思った。
あなたが我が子であったとき
あたしは
それが苦しくてさぁ
くたばるよりほかに仕方なかったんだわ
恭仁涼子
子供の頃に同級生からファミコンの天才と呼ばれていた。
対戦型のゲームで負けることがなかったからだと思う。
当時は手先が器用でいとも容易く完璧なプレイが出来た。
まるで完璧であることだけが普通のことであるかのように。
『スーパーマリオブラザーズ』は目を閉じたまま全面クリア出来た。
敵の出るタイミングが一定なので音だけ覚えれば良かった。
BGMのこの部分で敵が出るのでジャンプで避けるとSEが鳴る。
そのBGMとSEの組み合わせを覚えれば避けるタイミングが分かる。
『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』を初見で全面クリアした時には気味悪がられた。
僕自身も何故そんなことが出来たのか分からず自分で自分が怖かった。
いわゆるゾーンに入ると無意識的にそういう不思議なことが起こる。
...
ファミリー・コンピュータ(以下ファミコン)が発売された当時、私は小学校6年生。まだまだゲーム・ウォッチの虜だった。私が唯一もっていたのはバンダイの「バクダンマン」。年上の従妹のお下がりだったと記憶している。ゲーム・ウォッチが5000円前後なのに対して、ファミコンは本体だけで14800円。しかもそれだけは遊ぶことができず、更に5000前後のソフトを購入しないといけないのだから、小学生には大変に高価な代物であった。そして、我が家は、断固として子供にゲームは買い与えない(というか、そのようなものの存在も知らないような)方針の家庭であった。そもそも当時の両親は、仕事に明け暮れており、子供の世界でどんなものが流行しているのかには、まるで興味がなかったのではないだろうか。当時の両親に仕事以...
もうおなかいっぱい?
おでこに手を当てるようにこっちを見るね
きみとの思い出は
おちょこで飲みたい
とくとく注いで
ちびちびやりたい
きみとの喧嘩は
ぐい呑みで飲みたい
片口で満たして
ぐいっとやりたい
きみとの交わりは
コップで飲みたい
升にこぼして
たっぷりやりたい
もうおなかいっぱい?
ねえ
おでこに手を当てるように
こっちを見るのはよして
盃を酌み交わそ