過去の記事

「殺す」と言う人を恐れるな
本当に人を殺す人は、殺すとは言わない
マッチョな人を恐れるな
臆病者は筋肉をつけたがる
ストイックな人を恐れるな
自制心は大切なものを損なう
過去を語りたがる人を恐れるな
それに頼って生きているだけだ
家族や仕事を誇る人を恐れるな
運がいいだけだ
「それは詩じゃない」と言う人を恐れるな
気にする暇があったら詩を書け

テレビのなかにほんとはないし、
テレビのなかにはテレビなかのほんとがあって、
俺にとってのテレビのなかのほんとはコード、配線でありネジでありホコリでありその先は電気であり、原発であり、自転であり、重力であって、
そういやいまふりかえって僕はテレビを所有したことがないんだいままで。いまのいままで。
僕は家も所有したことはないし食べ物も所有したことはない。この呼吸も、ひとつの歌も、所有したことがない。僕はみんなと分け合って。

田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎。三人の画学生が作った自刻による木版画と誌の作品集『月映(つくはえ)』


「低空飛行」

朝早くから働いて もう外は真っ暗
日中フロアで過ごしている20人程いる おばあさん おじいさんは
もう みんな 自分の部屋に戻りました
眠りたくないおばあさんは夜勤の人に任せて
すっかり草臥れて
家に帰って 気がついたら もう寝なきゃ
今日は 失敗ばかりだったね

飛んでいないわけではないよ
低いところだけれども 飛んでいるつもりです

やりたいことが上手くできなくて
行きたいところへ行けなくて
日々 繰り返される生活に震える 怯える 戸惑う
生活は 止まらない やめられない 待っていてくれない

「生きる」

家賃を払って食費を計算すると
ほとんど金は残らない
ずっとそういう生活を送ってきたので
欲しい物がなくなってしまった
たまの贅沢は甘いものを食べるだけ
タバコを吸う本数も減らしている
服は着回しでサイズが合わなくなったり色があせたり
それでも特に困らない
作業着を着ていればいい

みきくんこんばんは 四

ハロウィンが終わり、次はクリスマスですね。
街がキラキラし始めると楽しい気分になります。
さて、学校の話を書いてみたのですが全くつまらない内容になったのでやめました。
普通の語学クラスで私を含む外国人(イギリス人以外)が毎日英語の勉強をするだけです。
子供の通う小学校の話の方がずっと面白いのでそっちにします。
子供が通うパーク小学校は青いトレーナーと黒の長ズボン、黒の革靴です。
青いトレーナー以外に白いブラウスと青色黄色しましまのネクタイがあります。
4歳の一年生から12歳の七年生が通い、アロアの家から歩いて10分くらいの距離です。
この後に転校して通ったイングランドの小学校もですが、小学校の登下校時間はきっかり九時と三時です。
...

※このシリーズは、ぼく(馬野ミキ)が新納くんとのLINEでの対話にて、新納くんについて思いつく単語を羅列し
新納くんがそれについて全部、返答しく様子を記録していったものです。

目を閉じる
目を開く
閉じるのは幸せ
開くのも幸せ
どちらかでもないと不幸せ
眠れない
起きられない
死ねない
生きられない
人殺しは良くない
いじめられて自殺するなら
それは自殺にならない他殺だ
お金が無くなって自殺するならまだいい
君が信じていたものは金だ
命は大事に使うものだ
人は小さい事で死にたくなる
命は大事に使うものだ
眠れて
起きれて
死ねて
生きられる
それが幸せというものだ

それは例えば美談というシロモノと出くわしたときである。「心を洗う美しい話」とか、「胸をうつ感動のエピソード」とか、そうした言い回しに触れるたびに、僕は鳥肌が立つ。直感的に拒否感を抱いてしまう。
同質性の集団に埋没し、思考停止に耽るようなおぞましさに対して、徹底的に抵抗したくなる。美談や感動を賛美する行為そのものを否定するほど傲慢ではない。ある意味、表現者など自己韜晦中毒に陥ったガキのなれの果てであろう。あらゆる表現は、おもねることと紙一重。あらゆる表現は、甘ったれた同調圧力の産物に似ている。
自分自身のしていることも含め、そうした行為をすることに嫌悪感をおぼえる。

陽の光に反射するサテン生地の
そのショーツの
おまたの部分に バターをぬって
少し 唾を吐いて
血をなすって
夏の太陽に干したら
とてもいい匂いになって とても高く売れる
私は ここで 「とても」 を二回繰り返す

秋津駅。
商店街へ続く道の上、西の空に
マンホールの蓋が、わずかにずれたという三日月。
鎌形のほそい光の隙間が
レモン果汁のようにほとびて耀き、
稍(やや)という微妙に
膨らんでいる。
それを仰いだとき、かすかな針が振れる。
日頃、こわばった
粘土のような水面は、
騒ぐことのない、静かな境地というよりも
ただの無感動であるが、
そのとき細波が、軋みのように
かすかに走る。
重畳たるデジャヴに揉まれ、ひたすら鞣(なめ)され
すみずみまでのべ広がった
その平衡を「死ぬ」と呼ぶのであるが、
そのために働くエージェントは、
けっして悪気はないのだろう。
そうしてとうとうふれあいもせで
逝ってしまうことのなんという容易さか。
今生の中で、袖すりあうも
理解はしなかった、ということは
永久にそうだということだ。
「東京市民よ! 市民諸君よ!」
...

「ミュージシャンが書いた系の文章」

僕が書いたインターネット上の十年分の日記みたいな文章を十ヶ月かけて編集して印刷してまとめて新宿のキンコーズで製本してもらって五キロくらいの本の束を受け取った帰り、それとはまったく関係なく、元ミュージシャンと、元ギター弾き語りで現バンドマンと、七年ぶりに会ってファミレスで三人で話した。

祝福 と おめでとう の違いが
三文字分でも分からなくて
葉の色が変わる季節
落ち葉を靴の下に踏む
街路樹の葉
森林のなかの一樹になりたかったですか?
山のなかで立っていたかったですか?