【企画】第二回 誌上短歌ワークショップ 秋月祐一×馬野ミキ

2022年06月26日

前回


思い出を忘れゆらゆら提灯のみろよ空には造花の桜


ご改作ありがとうございます。
詩歴の長いミキさんだから、厳しいことを言いますが、「思い出を忘れゆらゆら提灯の」という上の句は、ちょっと甘すぎるのではないでしょうか。
あと、提灯→造花の桜だと、目線の動きが少なくなりますね。
卓上のお酒から、頭上の造花の桜に目線を上げる動きがあったほうがいい、とぼくは思います。


思い出横丁と言うところで飲んでいたというところとも 兼ね合いがあったのですが この歌だけと読むと確かに弱いですね 
これが自由詩であると、「俺は思い出横丁で 思い出を忘れ ステンレスのカウンターにこぼれた酒をなめた」と言えるのですが・・・

そうですね 上ばかりみていますね グラデーションが足りないですね


そうなんです。お酒の要素もなくなってしまいます。


いやあ 「勉強になります」って49年生きてきて はじめてぼく使う言葉かもしれませんw
改作前のものです 少しいきすぎたかなと思ったものです

思い出の思い出横丁思い出のみろよ空には造花の桜



---思い出の思い出横丁思い出のみろよ空には造花の桜---

こちらは、三句目をべつの言葉にすれば、ありだと思います。


むずかしいーーー


「思い出の思い出横町」は面白いけど、三句目の「思い出の」はあまり効いてないように感じられます。


極端にふっちゃう ありがちな技かもです


原作にもどって、これをすなおに改作すると、
原作 桝の外こぼれる酒を拾え舌みろよ空には造花の桜
改作案 桝の外にこぼれた酒をなめる舌みろよ空には造花の桜

となります。酒飲みのぼくには、床にこぼれたお酒もなめたい気持ちはよくわかりますが、おそらく、一般読者はこの情景を美しいとは思わないでしょう。
そこで伝えるためのフィクションが必要になってきます。
お酒を飲み干して、ふと空を見上げると造花の桜が満開で、という感じはいかがでしょうか?


合ってる気がします。


あと、短歌には「連作」というものがあって、複数首の歌をならべて、作品として構成するというものです。


自分はそれ 向いてるかもです 
例えばすべて思い出横丁の飲み屋で作るとか そういうコンセプトを提示して書くというか


「思い出の思い出横町」のほうは、下の句を変えると、思い出横町という場所が提示できる歌になります。


提示?


場所がわかるようになる、という意味です。


思い出の思い出横丁午後の二時みろよ空には造花の桜


「午後の二時」というのは、デジタルのような素っ気なさがあります。
たとえば、「ひるひなか」とか「まひるまの」とか、どうでしょうか?
で、ぼくが連作のことを話題にしたのは、
思い出の思い出横丁(仮・ひるひなか飲む酒五臓六腑にしみて)
(桝の外にこぼれた酒をなめる舌)みろよ空には造花の桜
みたいにすると、作品世界に広がりが出るということを言いたかったのです。
ご検討のほど、よろしくお願いいたします。


ここは情緒より客観的な「事実」による 昼から飲んでる間抜けさ を伝えたかったです


では、「午後の二時」を活かしてみましょう。
ぼくもいま、午後の三時にメガ角ハイボールを飲んでいます。
「思い出の思い出横町」でいったん切れているので、「午後二時に」とか「午後二時の」といった感じで、下の句につながっていけるとよいのですが。


区切れるとまずいですか?


切れは一首に一箇所か二箇所までがよいと思います(もちろん例外はあり)
「午後の二時」を活かすなら、結句は言いさしみたいにするとか。
このへんは一首の呼吸の問題なので、今すぐにわからなくても、だいじょうぶです。


そうすねえ まとめようとして 大事なものを とりこぼしてる感覚もあります


短歌は、あまり言葉を詰めこぎすぎずに、三十一文字をゆったりと満たすのがよいとされています(これまた例外はあり)


言葉を詰めてるかもしれませんね。。


三十年ほど前、ぼくは大阪にいて、阿部野の明治屋さんという名居酒屋で、4時ごろまだ日の明るいうちに、お酒を飲むのが好きでした。店の外を路面電車が走っていて、格別の風情がありました。

飯蛸のまだ明るいと言つて飲む

飯蛸(いいだこ・春の季語)
これは俳句ですが。
短歌一首が伝えられることって、ほんとに小さなことなんですけど、それがピタッと定型にハマったときに、たくさんの人に共感してもらえたり、驚いてもらえたりする歌になるところに短歌の不思議さと面白さがあります。

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ここまでが先日のラインでの対話です。
ここでいくつか僕の気づいたことなどまとめようと思います。

蝉溶けるほどの暑さやアロハシャツ土にまみれて都落ちせり

これは僕が祐一さんからいただいた推敲案なのですが、「蝉溶けるほどの」と
五文字を破ってもいいのですね
五 七 五 七 七 に縛られて標語みたいになっていたかも知れん ぼくが
「午前の二時」なんかもそうかも知れません。
五文字の言葉を探すモードに脳がなってましたね 五文字の言葉探しゲームみたいな
ちとここは脳のいままで僕が使ってこなかった回路を開発しないといけないかもです。

それから短歌は歌ゆえに、「切れ」ということを祐一さんがおっしゃったのかも リズムというか。
流れるように、というか。

飯蛸のまだ明るいと言つて飲む

これ、流れが美しいですよね。

秋・注

蝉溶けるほどの暑さやアロハシャツ土にまみれて都落ちせり

は、定型の区切りでいうと、
蝉溶ける/ほどの暑さや/アロハシャツ/土にまみれて/都落ちせり
 5     7      5      7      7
となります。「蝉溶ける/ほどの暑さや」は「句またがり」と言います。
句またがりを上手くつかうと、定型のなかでも自由に言葉をあつかえるようになります。
句またがりにも、いい句またがりと、よくない句またがりがあります。そんな話もおいおいできたらいいですね。


改めて、標語といふより、「歌」ということを意識してみます


そうですね。57577でパキパキ言葉を割ると「標語」っぽくなってしまいます。その意味で、一首のなかの「切れ」は一箇所か二箇所にしたほうがよい、とお伝えした次第です。


文字数の合う単語、言葉を探す作業というよりも、もっと自然にですね


そうです。標語にならないように、散文にならないように、という2つのミッションが、同時にあるのが短歌です。


歌のリズムを一日数度想いめぐらし、細胞にいれていく作業をしたいと思います。


目についたものを片っ端から、即興で57577にしていくのも、いい訓練になりますよ。


それは敷居が高いですね。。


これは、もうすこし定型に慣れてからで構いません。


作曲をしてから、作詞をするみたいなかたちで、まず歌のリズムを、身体に入れてみようと思います。


歌のリズムを身体に入れるには、名歌を音読するのが一番です。明日から、1日5首くらい紹介していきますね。


消化できないかもなので1首でおねがいしますw 「首」で数えるのですね 1篇でもなく1歌でもなく、首とは新鮮。


じゃあ、1日1首で。


お願いします。それを一時間に一度くらい、詠んでみます!


つづく










秋月祐一×馬野ミキ