過去の記事

詩を書き始めたのは、十五歳の頃からだ。七十年代の半ばになるのか。当時、学研から「高1コース」という月刊の学習雑誌が出ていた。そこに、詩の投稿欄があって、著名な詩人諸氏が選者となり投稿作品が掲載されていた。私も何編か作品を投稿したが、入選までには至らなかった。
十代の終わり頃、ある小さな詩の同人誌に同人として加わった。この同人誌で初めて自分の詩が活字になった。当時はまだワープロのない時代だったので、活字になった時の嬉しさは今でもよく憶えている。
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居心地のいい 部屋で
沢山のお気に入りのものに 囲まれて
居たくない 服は5着でいいし
物は捨てたい メンテナンスできないものを置いておくのは最低
キャパを超えた部屋は要らない
食べものも 忘れるほどにはいらない
手をかけられないほどの肉も野菜もいらない
家の中に必要なものはそんなにない
部屋は狭い 置いておきたいものはそんなにない
手元は、狭い 私の手はとても小さい 私の手は
埋もれやすく 毎日の通勤や メモや 丸めたティッシュに埋もれていて
繋ぎたいときに繋げられない
繋ぎたいときに繋げられる手でさえあれば
ほかにはもう 人と暮らすメリットはない
死ににゆく義父を抱きながら
こんなはずじゃなかったねと義母が言っていた
初めて見た
えいえんが、解かれるさまを

坊やが舐め上げて叩きつけて
スイッチのコントローラーのRが壊れた
駅近くの常盤書房で
右コントローラーを買った
店員のオタクは丁寧に
こっちが右だからこれが右ですねと
確認してくれて嬉しかった
何度か楽しんでるうち
金の払い忘れでWi-Fiが止まった
それも支払って少し楽しんだ所で
オンライン更新のあれで
ファミリープランのあれを買いに行く事に
セブンイレブンミニストップなくて
常盤書房なくて坊やのおむつ変えて
トイザらス新装オープンにてお休み
で娘と呆然としていたけど
最後の店は頭に浮かんでいた
手描きのマリオ手書きの商品紹介
橋の近く
多分ないのも頭には浮かんでいたんだ
でも行きたい
オタクの店員にありませんねと
言われたかったのかも知れない
お店は餃子屋に変わってた

日曜日。市場へ出かけ
はしなかったが、
道端に
皿や本や雑貨が置かれて「ご自由にどうぞ」とあったので
球を貰った。
台座も軸もないが
小ぶりな地球儀と見えたものが
掌にとってよく見れば
くすんだ青い色の表面に書かれたクレーターや海の名から
月球儀だった。
インテリアの飾りにしよう。

小学4年生のとき、学校で写生大会がありました。
学校のそばの海を見下ろす高台にみんなで移動して、そこから見える景色を描くんです。
天気が良ければ、日の光を反射してキラキラと輝く明石海峡、そこを行き交う船、そしてその向こうには淡路島という、なかなか絵になる景色なんです。でも、残念ながらその日は梅雨真っ只中の6月下旬。今にも雨が降り出しそうな曇天でした。そもそも、なんでそんな時期に写生大会を設定したんだ。

こないだ
僕のとこにも神の啓示があったんですよ。
あれってほんまにあるんですね。
頭の中にドーンッと
目で見たみたいに言葉が聞こえてきて。
神様が言うには
僕の直してほしいところを
近くにいた天使たち何百名かに
聞いてくれたらしいんですけど
第1位は
性格じゃなくて顔らしいよ。ですって。
だから僕
困った時の神頼みじゃないんですけど
ちょっとこっちはお休みして
整形手術のほうにシフトしようかなと思います。
と、
いつも行ってるカウンセリングの先生に相談したら
先生が言うには
それって
神の啓示じゃなくて
天使たちのツイートまとめなんじゃないですか。ですって。

俺は次回の予約をしてNIK口で降りた。
モヨリダヨ。
泡のPを口ずさむ。
「あわわあわわはスポンジBB」のフレーズが気に入っちゃって
...

あれは夢だったのか。
いや、かつての事実だ。私はかつて約15年前東京でポエトリーリーディング活動をした。詩のボクシング神奈川大会やジェットポエットなど色んなイベントに参加した。
楽しかった。嬉しかった。
そして自分自身を急かした。
タイムリミットがあった。身体をボロボロにしてタイムリミットが来てふるさとの釧路に帰った。数年間ポエトリーをあえてやらなかった。もうやらなくていいとも思った。詩は毎日毎日つくった。理由は無い。習慣だった。約20年間詩を毎日毎日つくっている。自分自身よくわかっていない。昨年知人の紹介でオンデマンド出版を知り昨年は∞ブックスから8冊刊行した。今年は1月に1冊刊行して目下執筆中。今は年一くらいポエトリーリーディングイベントを企画主演している。
...

よくある話である。第一次世界大戦が差し迫った19世紀の終り頃、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ等を擁する「ウィーン分離派」が発足する。

大連で大学生のお友達ができました。
女の子です。
ある日大学の構内で私が他の留学生とおしゃべりをして別れたあと後ろから話しかけてきました。
彼女は英語の勉強をしているらしくて、英語を上達させたいから仲良くなろうという提案でした。
私は中国語を上達させたいので仲良くなりました。
といっても私の中国語は上達させたいどころのレベルにすらないのですが。

その日のごはんは
しらすと、韓国海苔と、あぶらげを半分に切って中にねぎとかつおぶしを入れてちょっとしょうゆをたらしたのをトースターで軽くあぶったのがおかず
冷蔵庫にあったもので手早くつくったら
子どもは喜んであぶらげのは六つも食べた

Twitterのプロフィールに名前、自己紹介、Web、生年月日と並んで「位置」というのがある。
位置。考えてみた。

私の体の中にあるのは間違いないと思うのだけれど、それが脳なのか心臓なのか、それとも爪の下なのか定かではない。どこにいるのだろう、私は。もしかして、Googleマップみたいにそこに見えている気になっているだけで、私になっている気になっているだけで、私に遠隔操作をされているのかもしれない。それならばどこでしょうか。この惑星、もしくはこの次元とは違う位置にいるのでしょうか。まさか、孫九郎と名付けたうちのネオンテトラに操られているということはないでしょうね。
位置情報サービスを使うと、東京都にいるようだ。位置情報サービスとは一体なにの位置を位置と考えているのだろうか。

本命のAちゃんからのLINEの返信は途絶え
対抗のIちゃんは月曜が休みであるということで
俺とつるぴか丸先輩は間抜けな昼下りを、その中華料理屋のカウンターで過ごしていた
一通り夕方まで三時間飲んだあと
俺は新宿を何周かした

福島について、悪口ばかり書いているが、当然、故郷には愛憎半ばするものがある。よく言われることだが、近代から
いままで福島は三度負けている。戊辰戦争、第二次大戦、そして最近の福島第一原発事故だ。三度の敗戦を経験した福島にはなにが足りないか?
哲学と文学ではないか?
質としてではなく、まず量的に。哲学と文学が足りない。
哲学と文学の不足。事態を根本的に考える人々が不足している。
この不毛な閉塞を打開するためのアリバイではなく、ほんのわずかだが寄与として同人誌を立ち上げた。私の不甲斐なさと力不足を痛感する日々、同人の皆様も同じ思いだろう。
少しずつ、進歩したい。福島人の良いところである実直・愚直な精神で頑張りたい。



アレクセイ渡辺

東京荒野という雑誌を作り始めて7年。自分の作品を載せる場がなかった僕はその場を自ら作ろうと、季刊誌東京荒野を発行した。それ以前には10年ほどの音楽活動も行っていたが、当時は共演者と喋ってはならない、喋って心が通じてしまったら、歌がよくなくても友達になってしまう、と本気で思っており、まるで喉を潰すためかのように歌い、結果10年間でできた友達は片手で数え切れるほどという、つまりはさえない歌を歌っていた。その音楽活動を休止して今、僕は年4回東京荒野を発行している。

人間、譲れない物もあるけれど
お互い、譲り合う気持ちも大事

それは2011年初めだったか mixiボイス
twitterのような機能の書き込みで見つけた
バリバラの前身番組「きらっといきる」
どうやらNHKの番組らしい 日本放送協会
Education television

みきくんこんばんは 八

前回まではイギリスにいたことをいろいろ書きました。学校では休暇が多かったしいろいろ出かけることもあり、今思えば楽しい毎日だったのかもしれません。

さて日本に帰ったのは夏でした。
八月に一か月かけて姫路城を作ったりほとんど家から出ない生活をしました。
とても疲れていたのでしょう。
それから近所で派遣の仕事をしながらも靴関連の国際展示会へ何度か行きました。
香港や上海開催の物が多くて、ブースの工場は広東省が多かったです。
そしてそれまで全く予定していなかった中国語の学習を始めようと思うようになりました。
最初は広島市内のECCとか行ってイーアルサンスーなんて数を習ったりしました。
それからカルチャーセンターにも行ってみました。
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