過去の記事

往年のアメリカ製SF映画に、「禁断の惑星」という一作があった。人類が宇宙へと進出した時代に、ある宇宙船が故障で、一つの惑星に漂着する。過去に栄えた大規模な文明の遺産が残るこの星に、もっと以前に漂着した探査船の生き残りの男と、その娘が住んでいた。
そうした設定で展開していく、SFミステリー的な作品である。美術的な面も含めて、僕がとても好きな作品である。
この映画の中に、人間の思念を実体化させる装置というのが登場する。そんな作品を記憶にとどめ、後に自分の作品に反映させた脚本家がおられた。テレビ放映されるアニメーションが「テレビ漫画」と呼ばれていた時代から、多数の作品に関わって来られた辻真先さんである。
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何度か会っているとは思うが、記憶に残っているのは二度だけである。
一度は、ミキさんが『詩学』の連載を終了されたとき。連載終了を記念してのイベントだったか、
「東京で『詩学』に関係した詩人を集めてリーディングライブをやります。来ませんか」
と誘われ、当時連載陣のひとりとして名を連ねていたわたしも参加した。そのライブにchoriさんも来られていたのだ。ミキさんが連載なさっていたのが2004年から06年まで。choriさんは05年に「第一回詩学新人賞」で最優秀詩人賞を受賞されていた(クロラさんと二人同時受賞だった)。
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詩誌「詩学」が設けた最優秀新人賞の第一回に(2005年)
ちょり君とクロラ君が同時受賞した
それはこの界隈では小さなニュースでもあった
クロラ君は2ちゃんねる詩・ポエム板出身の後輩
二人共若いイケメン王子様風でなおかつ名前が「ちょり」とか「クロラ」とかハンドルネーム風というか
自分が「詩学」に連載を持っていた頃、
ちょり君を新宿は思い出横丁の岐阜屋に連れて行ったことがあって大層喜んでいた
そこでちょり君の発行する小さな雑誌のインタビューを受けた
酒を飲みながら。
自分が「ミキ」ではなく「馬野ミキ」と名乗るようになり
一時期、対外的な狙いもあってスーツを着てたことがある
するとちょり君も「僕もスーツ着てきました」とあれはウエノポエトリカンジャム3の打ち上げであっただろうか
そういう可愛げがあった
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私がインターネットに触れた2000年前後からchoriの名は知っていた。
なんだかネットの詩の界隈では有名で、ネットの詩の賞を掻っ攫っている若者だという。
裏千家のお坊ちゃんでネット外でも知られているらしい。
詩を読んでみたら、まあ若いわりには書けている方かな、くらいの印象しかなかった。
私は基本的に天邪鬼なので、名のある人間はコケにするし、イジってしまうクセがある。
彼も例外ではなく、いろんなところでおちょくっていた。
詩はヘタでも七光りがあれば評価されるんだねえ、とか、若いだけで持ち上げられてたいへんだ、とか、好き放題言っていた。
あとから聞くと当時10代だった彼はひどく傷ついていたらしい。ごめんなさい。
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扇風機は枕元で一晩中回っているはずなのに、何かが風を遮る。
薄目をあけると誰かがしゃがみ込んで顔を覗き込んでいて、
半身寝返りを打つと畳の上にひょろりとした足が見える。
蓮の花の刺青で、誰だかすぐにわかった。
また目を閉じる。なんて夢だろう。

故ちょりと初めて会った日のことはぼんやりながら妙にはっきりと覚えている。あれはいつやったか忘れたけど、どっかの喫茶店?喫茶室?紅茶を飲む感じのスペースで開催された詩のワークショップだった。たしか森下朝子氏もいた。森下氏の「地元の花火大会の話」は、めちゃくちゃ笑えたので、いまだに面白い話かどうかの自分の中の物差しにしてるんやけど、もしかしたらこの日に聞いたのかもしれない。話が逸れたが、そこで初めて同志社の付属の制服姿で参加していた高校生のちょりと出会ったんである。詳細はわからないが、彼には、SPみたいなかっこいい女性が一人ついていて、話しかけにくい雰囲気があり、なんか知らんけどとてつもない大会社の御曹司なんかなあ?とか思ったりした。さて、作品発表の場面で、みんな自作の詩を朗読するんやけど...

UFOって見たことありますか?
僕は幽霊だの地縛霊だの守護霊だの、見たこと無いし、いるのかもしれないけどそういう類の存在とは無縁というか相手にすらされないと思っている

いるのかもしれないけど俺は用事は無いし、あっちだって相手を選ぶだろう

俺は低俗で脳に毒が回っている
幽霊がいたら俺にこう言うはずだ
「いや、あの、君じゃないから…」

高校二年生、オーストラリアへの修学旅行に行かせてもらった

九州への修学旅行組とオーストラリア組とで別れたのだが引率の教員を含め120人程度でオーストラリアに一週間滞在することになった

シドニーだとかキャンベラだとか行くのだが道中、週の真ん中あたりでど田舎の農場に泊まるという日があった
ほんと街灯も何も無い、柵すら見えない広大な農場に一泊する事になった

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実は、この時代について政治的な視点から語ることは、とても難しいのである。政治的な視点からは、大きな転換期であり、きちんと理解された方が良い価値観のシフト交代が行われた時期でもあったのだ。
加藤泰監督の映画作品に「真田風雲録」という一作がある。僕は若い頃(1980年代)、池袋の文芸坐地下でこの映画を見た。(元々は、昭和の前半にサンカ小説で知られた作家三角寛氏が始めた映画館人生坐がその母体となっている。今の、ビルの一スペースにある映画館という形態になる以前は、文芸坐は独立した映画館であった。地上では洋画、地下では邦画が上映されていた。ほかに、ル・ピリエという小さなステージや、映画関係の書籍を販売する専門書店があったことも併記しておく。)...

畳12畳の
東京23区ギリ片隅のもう24区になりそうなこの部屋に
きみが置いていく
シャンプーやリンス
きれいなルビー色の石鹸や
ほとんどつけなくなったテレビ台の上の
玉虫色の種のじみたヘアピンたちが
領地を拡大するみたいに
少しずつ広がっていく
染み渡るように
侵攻する
どちらがロシア軍か
どちらがウクライナなのか
電気をうす暗くしてから決めよう
俺はきみを支配した後に
降参するから
ユーモアだと解釈して笑ってくれ

久谷雉の第4詩集『花束』は、B6サイズ・ソフトカバーで小ぶりで手に取りやすい。使われている言葉は平易で内容も観念的ではないので、生活空間から詩集の世界にすんなり入りこめる。生身の身体や日常に重なっていながらも、少しだけ想像力の冒険を楽しむことのできる詩集である。飛行機で外国旅行をするのではなく、行ったことのない隣町の公園に行ってワクワクするような感覚に近い。
「品川行」という詩では、

さようなら、
どの色の歯ブラシをあてても
幽霊にはなれない
わたくしのちいさな近代よ
さようなら、
(…)
少女たちよ
わたくしのパンはもう燃えない
燃えることを知らないまま
灰になる未来を約束されている
(…)
春の品川 夏の品川
岸辺で崩れる泥団子から
二人称はこぼれない
草履も
雲も
流れてしまえ

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金縛りにあった、初めての経験だった
ヨシにその事を話した

「寝てる時に寝てる夢を見てるからそうなるんだよ」

ああ、なるほど
確かに記憶を辿ると夢の中で俺は寝ていたのかもしれない
夢の中で起きたはいいがが体が動かない、この時点で俺はまだ睡眠中である
動け!起きろ!でも、動かない動けない
パニックのまま朝を迎えた
起きた、やっと起きれた

その日は打ち合わせが長引いた上に余計な無駄話もかさみ完全に終電を逃した

俺とあと二人、なんでかよくわからない、タクシー代がもったいないという事で男三人でラブホテルに入った
改めて三人で同性愛者では無いと確認して二階の部屋に入った

あれ?こいつらって俺の何なんだっけ?
知人?友人?違う…
何だったっけ?

とりあえずシャワーを浴び、しょうもない話しをする
「あ!なんか飲みたくない?」
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僕が、角川文庫の「死刑台のメロディ」(ハワード・ファスト、藤川健夫訳)という本に出会ったのは、中学二年のとき(1972年)であった。この本は、アメリカ史上名高い冤罪事件であるサッコ・ヴァンゼッティ事件を扱った一冊であり、当時公開された伊仏合作映画「死刑台のメロディ」(監督ジュリアーノ・モンタルド)という映画の原作本として売られていたと思う。
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連載 第4回

2 1960年代という時代(1)

(※連載の第一回に、敬称に関して男性は「氏」、女性は「史」で統一するとした。それは、僕が子どもの頃から触れてきた各種の文章での慣例に習ったに過ぎない。しかし、最愛の妻から「(男女で敬称を分けることには)気持ち悪さを感じる」と批判され、確かにその通りかもしれないと思い直し、敬称は氏に統一することにする。)

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昨日の夜もチュン太郎とキャベツ太郎と壮絶バトルをしまして、もう今見たら、ごちゃごちゃになってしまいました。世間は狭いですね。知っているような人達の声が取り払えません。植え込みの紫陽花のドライフラワー状態の綺麗な花を1本枝を折って頂戴するのもいけない、と言われました。皆さんがあちこちにお手洗いを借りて落としちゃっていきますが、うるさい声を聞かされるよりは、耳にマイルドです。今日はしとしとと、お湿りが降っております。皆さん極力仕事をして税金を納めるのが大義名分のようで、こんな日も遅刻なしでしょうかね。フレキシブルなのかな?やっと生活が落ち着きました。でも最低限の税金のお零れの雫を戴いておりますので、ぼくも夕方位まで、おしとやかにしておりますね。因みにラブレターは敢えなく捨てられたみたい。

三重県桑名の交差点に、「地蔵」という場所があった。
そこの前に「ギロチン工場」があって
鬼頭商店と言った。
その交差点は全国的にも死亡事故が多く有名だった。
そう言えば、僕も桑名に住んでいた頃、その地蔵の交差点を登ったところで二度も追突事故に遭った。
僕は深夜、この地蔵の交差点を通るのが怖くて、逆に傘地蔵の話を思い出してみたりしたが、それはそれで、リアルに想像すると怖かった。
雪の降る夜中、地蔵が米俵を担いで、僕の家に向かって近付いて来る。

家庭を持っていても、夫婦どちらも料理が苦手なら外食をすれば良いし、食器も食洗機が洗ってくれる。掃除が苦手ならロボット掃除機に任せるなり家事代行業者を呼ぶなりすればいいし、今では洗濯もほとんど洗濯機がやってくれる。育児は大半が親の役目ではあるけど日中は保育園や学校があるし、ベビーシッターもいる。セックスが苦手な妻を持つ夫はお店に行けば良いし、同様の夫を持つ妻は、はて、どうするのがいいのか。