過去の記事

千春は小説を書いていた。ぼくは彼女が書いたものを読んだことはないけれど、自由でとりとめもなく、非合理的なものを書いていたに違いないと思っている。彼女の住む家に行ったとき、ぼくは彼女の思考の一端に触れた。
彼女の住む一軒家は井の頭公園の脇という最高の立地だった。彼女の祖母が亡くなったのを機に、一人で住むようになったらしい。家は大きく、そのまま小津安二郎の映画のセットとして使えそうなぐらい立派だった。
「古臭い家でしょ?」
「いや、雰囲気があるよ。そういえば両親は?」
「親は練馬のマンションに住んでる。あんまりここが好きじゃないんだと思う」
「マンションなんかよりこっちの家のほうがずっといいと思うけどな」
...

僕の創作にとって重要なのは結局世界でもなんでもない。
たとえば戦争が起こってたとして、結局のところ問題はそれで
死んでいく人間がどうとか、クソの掃き溜めに突っ込まれた
イラク人がどうとかとかそういう問題ではなくて、結局のところ
テレビやラジオの電源を一切切ってしまえばそれで解決する問題に
すぎないような気がしてならない。ガソリンが高くなったとかそういう
ことは実際問題ぼくらの生活を脅かす問題だが結局のところそこでイラク
で人が死んでいるとかそういうことはたいした問題ではないのだ
極論を言えば何人死んだって安定すりゃいいんだから。つまりは
よそ事なんだ。実際問題不快な映像が茶の間に
流れたからゲロはくような嫌悪感をアメリカに対して抱いているに
過ぎないのだろう。実際問題、世界のことについて、たとえば同じ太陽の
...

最近新幹線に俺が殺されるんじゃないかという妄想が強まってこまる。
ぶっちゃけ、殺されるとしたら栃木県人か群馬県人、関西人、中国人
アラブ人、向かいの家のDQNのどちらかだと思うんだが、多分新幹線とか
こいつらが運転してたら絶対に俺を殺しに来るにちがいない。

実際やつらは駅がきたらとまるし、レールの上を走るしか能がないから
俺をころさないで済むだけの話であって、新幹線のレールが俺の家まで
のびてきたら絶対に俺を殺しにくるだろう。初代の0系とかはすげえ
プリティな顔をしていたし、100系とかはまあなんとなくロボっぽい
雰囲気とか漂わせててなかなかかっこよかったが最近の新幹線は
凶悪なカモノハシみてぇで怖いったらありゃしない。

ねむくてたまらない時に
車の轍をなぞっている。
音はできる限りシャットアウトし
視界だけで
凹凸を舐めるように
なぞる

森に住んでいると、女の人が尋ねてくる。鹿を獲ったり時には熊を獲ったりしているような人生なのに、女の人が尋ねてくるなんて。
ただ、その女の人は知り合いでも何でもない。毎回、私の家を訪ねてきては何もしゃべらない。いつも同じ部屋の隅に座り、時間が過ぎて彼女は帰る。何で毎回、来るんだろうなぁなんて思っていた。
まぁ謎の女を毎回あげてしまう自分も自分ではある。しかし、森というのは自殺者が来ることは少なくない。もし、彼女を追い出して自殺とかされたら悲しい。盗まれたら困るものも特にないし。一体何が目的なのかは分からないが、最近は目を離しても特に何もしないということを理解したのでご飯を食べたり、猟銃の整備をしたりしている。
...

凛とした出会いが訪れたのは私が生理中のことで、それはなんだか、彼と私の先々を暗示して居た。空は時雨れて、私の胎内に降る赤い雨と同様に、世界にも雨が降って居た。それから。

あれは小学生の時、
母親に連れられ、「本を買ってあげる」と近くの本屋へ。
高校生向けの数学の参考書だったと思う。そのカバーアートがマグリットの『白紙委任状』だったと知るのは成人してからしばらく経ってから、だった。
20年近くも不思議で、不思議過ぎて忘れる事が出来ない、そんな創作物って、あるのだろうか?それは当時の僕には難解過ぎて何もわからない高校生向けの参考書だったのだが、ある種の記号というか、不安と呼ぶべきか、対峙しなければならない疑問が存在していた。

外国で大きな戦争があった
この国の政府はその戦争を支持した
国民の間では数十年ぶりに反戦デモが流行した
みんなで当世風に呼ぶところの〈平和散歩〉に出かけた

Bottle gourd(Buu-thee in Burmese) is one of the most loved vegetables here.
It is usually cooked with meat or fish, and the chicken with bottle gourd curry is Myanmar's popular dish.
Now in the second year since the coup d'etat, the economic crisis with rising prices is becoming more serious as the violence of the military increases.

いにしえの野生の王国、鳥獣戯画アンティック
爆発的芸術、真っ白なキャンバスで弾ける何か
ジャングルで踊り狂う原始人ピカソ
色とりどりの動物、生命力を描き出す
自然の息吹、蛙の鳴き声、羽撃く鳥、川のせせらぎ、戯れる12色のアクリル絵の具、背景にエアーブラシ、虫刺されに修正液
雨上がり、風に吹かれる木の葉と水飛沫
晴れ間に虹を描くように筆ペンを走らせる
生命力漲る、滾る、イヤァオ!
民主主義って何だ?答えはこうだ!イヤァオ!
大阪で有名な河内音頭、それは八尾!
森の中でエンヤコラセードッコイセー

小雪が散らつく中、遺体が転がるウクライナ?の映像を見て思うのは

「人間って意外と寒いところにまで
住んでいるなあ」
ということ。

今、この時も南に行けば
黒い胸を出して
強い日差しを泳ぎ
できるに任せて
果てしなく子供を生んで

千年続くバナナの大地で
夕焼けを見るたび
笛を吹いたり泣いたりする

写真館なんかなく
死んだ祖先は皆一緒くたに
神さまにされて埋まる

そんな暮らしをしている

未来もあった

My sassy chickens.
I want to take thousand photos of them every evening.
The chaos since the coup,joblessness and now covid lockdowns make people have no much options to put food on the table.
For some people, thieving becomes a really easy option.
Chickens are one of the most targeted to steal here and lots of...

ふと、会社のことが頭をよぎる。みんなどうしているんだろう? 独り身のぼくにはうまく想像できないけれど、小さい子どもがいる家庭は大変だろう。だってこの状況をどう説明すればいい?

そんなある日、とうとう私も流行り病を患う。
職場の都合で定期的に受けているPCR検査の結果が陽性だったと
旅先のウクライナでしらせを受けたのは二日後だった。
けれども症状がないので自覚がわからない。
ジェット・ラグにちょっと
酔ったような気分で
放心した頭からくらくら
悪の凡庸さなどが湧いてきて
狐に摘ままれるように
身につまされた。
悪気なくひとは
ゾンビになるもんだね。
そうですよ。なにしろ
「口裂け女はわたしだ!」
とはフローベルの慧眼で
いまとなれば誰もが口裂け女。
あまつさえその姿が
ドレスコードじゃないですか...

部屋のチャイムが鳴る。
ドアを開けると痩せ細った男が
「ちょ待てよ(キムタク風に)」と書かれたプラカードを首からぶら下げて立っていた。

俺は、落ち着き払った表情でこう言い放った。

「こんにちは。」

口を大きく動かし、ゆっくりとハッキリと発音するとなんだか気持ちがいい。
挨拶とはそういうものだ。

ガリガリの男は少し微笑んでこう返した。

「はい、こんにちは。」

父が死んでいく数ヶ月のあいだ
わたしにとって詩が救いになってくれたのは間違いありません

父はあまりにふつうの、そして幸せな人間だった
幸せな人間の
ごく普通の人生の果ての死なんですが

もしもし?中川君?
私、妊娠してさー、
めでたいっつーか、めでたくもないんだけど、
旦那はダンスで収入がないし、それでも私、
産むって決めて、病院行ったわけさ。
そしたら赤ちゃんがもうお腹の中で死んでてさー。
結構ショックっつーか、酒もタバコもやってたしねー。
それでその時、驚いたのは、旦那が、
「オー、セカンドタイム」って言ったことなんだけど、
結局、私、旦那の過去とか何も聞かずに結婚したしさ。

抒情詩の惑星にPOETRY CALENDAR TOKYOについて書いてほしい、と馬野ミキさんから依頼があり、記憶を掘り起こしている。20年前のことなので曖昧な部分も多いが、楽しかったり、辛かったりという感情についてはほとんど記憶がない。現在に限らず、当時も大きな感情の起伏を伴うようなものではなかったと思う。発行人の斉木博司がいつも言っていた通り、砂利道をアスファルトで舗装する仕事に感情は必要ない、ということだったのかもしれない。