過去の記事

精神的になんかてんぱりが止まらず
あの例の自分の限界的底にいつまでもいたわけですが
自分の限界なんであくまで浅ー
「そこ!浅瀬ですからー!」
いつまでも足のつく場所でおぼれてるわけにもいかず
立ちましたよ
もうてゆーことはなんかもう無理なんじゃないのと目覚ましを止め
夢の中で朝という出発の準備を繰り返し
何度も目覚ましを止め
しかしふたたび急におきあがりまぶたをめくり
くるまれたままの状態で昨日のように電球にスイッチをいれ
なんとなく一番に用を足し
二番目にパーソナルコンピューターにログインする
数字を数え
メッセージを表示し
ローマ字を入力し送信し
床が傾いている常に曲がっているのは自分の首と名前のつく場所
背中から新しい文字たちがくずれおちてまたもりあがり迫る
必死でとくにリアルなのを瞬時につかまえてすこしずつ打ち込む
...

あんたの優しさはタバコのヤニになって
黒い肺で耳を噛まないで

暗い部屋
ネギを切って大根を切って
湯だった鍋にまな板から包丁で入れる
その間に
何杯、焼酎飲んだ
からから窓を開けて薄いカーテンがなびく
青いガスの炎がぼうと強くなって
夜風が冷たくなったら
後ろからきつく抱きしめる

逃げられそうに無い夜が嫌い
マンションの前を通る自転車をふたりで嘲笑う
心底夜が明けない
星は綺麗だと

肩に乗った手を
柔らかく掴んで
カーペットへ置く
「味噌、入れなきゃ。」




9オビ・イルテッシュ

悔しいことがあった日の夜
公園のベンチで
うつむいてタバコを吸っていると
エンドロールが
とつぜん地面から湧いてきた
比喩ではない
物理的に湧いてきた
エンドロールが流れるっつうことは
何かが終わった、っていうことなんだろう
それが何なのかが
うっすらとわかってしまうことが
しんどかった

いちお おれが主役の人生らしい
だから
おれの名前はいちばん最初に流れた
明朝体の白い文字は
夜の公園でくっきりと目立って
ちょっと恥ずかしい
自分の名前がのぼって
夜空へと溶けていくさまを
見つめた
見つめるしかなかった

街でときどき
地面にへばりついて
何かを必死に抑え込もうとしている人を
見かけるけど
ああ、そういうことだったのか と
合点がいった

1-1
詩であるのに、伝えたい・伝わりたい・受け取りたい・知りたい・もっと聴きたい等と思っている。「であるのに」と書くのは、私が個人的に詩をどう捉えているかということと関係が深いと考えている。例えば私は、「雨」と聞けば「傘」や「晴れ」などを連想する。「雨」と聞いて「サランラップ」や「一輪車」を連想しにくい。言葉にはそのものと他の言葉に与えられているイメージや関係性があると思う。コロケーションと呼ぶらしい。


...


ずっと前、アメリカ人の同僚に、「友達の着ている服を見て〈それいいな!〉なんて言う時どういうの?」と尋ねた。彼はちょっと考えて〈SO BAD!〉だね、と教えてくれた。BADは良くない意味だけど、場面場面で反転させて強調に使うのかな。そう言えば日本にも悪友ということばがあるが、もちろん本当の悪人の意味ではない。


...

円の外にいち早くアクセス出来るのは言葉だろう
「いるのかい?大丈夫かい?」
コミニュティの外、三角の外、それは森の中とも言えるかもしれないし、海の底なのかもしれない
豊洲のタワーマンションの高層階、という場合もあるのかもしれない
円が狭まってくる
こっちだって必死だよ

ここで踏ん張る

なんれにせよ、いち早くタッチ出来るのは秒速330mのそれなのだろう


三角形

それでは、いろいろな三角を見ていきましょう

机に置いた2つの三角定規
鉛筆を軸に回転させる円を描く、これを社会と定義してみると...
縁になる
気をつけてね?そこに触れると痛いみたい

私と配偶者と子供
仕事と私と家庭
父と母と相続税
家族と社会と税金
駅と街と再開発
朝と昼と夜
グッチとヴィトンとモンクレール
チンコとマンコとアソコ
犯罪と貧困と渇望
夢と現実と希望
...

ある日、男が蟹を届けた。
男は玄関のチャイムを押し、
宅配便です!
と叫んだ。
ダンボール箱には蓋がなく、毛蟹が丸出しになって
あたしに捧げられた。

あたしは毛蟹を持て余した。
どう食べるのこれ、詰み。
YouTubeで解体の仕方を検索した。
その通りにやりながら、
蟹味噌をスプーンで掬ってちゅーちゅーした。

一度海に潜ってごらん。
男があたしの肩に手をかけていう。
魚もいる、蟹もいる。
きみもきっと思うよああおいしそうだなって。
羨ましくはない?

羨ましい?
とんでもない。
あたしはおいしそうなんて
値踏みされて
消費されるのはごめんだわ。

値踏みされて消費されて解体された
あたしの蟹。
蟹を運ぶ男と
受け取り続けるあたしとの戦い。

あたしはそれを弔い合戦と名づけた。



こんばんは、椿美砂子と申します。詩を趣味で書いております。馬野ミキ様からある日TwitterのDMて叙情の惑星で詩について書いてみませんか?とお誘いが来ました。
勿論、二つ返事でOKですと返しました。馬野ミキ様とは夏に大久保のライブハウスで初めてお逢いし、私は馬野ミキ様への第一声がかっこいい、でした。その前日は日本現代詩人会の会合があり、新潟から東京の実家に帰省してたんです。歌人の秋月くんと前日新宿で逢い、明日は馬野ミキさんのライフに行くというので私も連れて行ってと便乗しました。その日地下のライブハウスで朗読や音楽...

金があればおごる
金が無いからおごれない
だから金をくれ
働く 働け 働いてくれ
みんなの楽しい世界を壊さないように
働きたくない いや働きたい
働いている
話せばわかるはず
人が嫌いな人間はこの世にはいないから




ロバートDEピーコ

昭和の頃にはおじさんの半分は休みの日は上半身裸で過ごし
瓶ビールを飲んでプロ野球を観て
親戚の集まりから飲酒運転で帰り
次の日の昼に事務の女性は尻を撫でられていた
繁華街には目で見てわかる暴力団がたむろしていて
家族はそろってご飯を食べ
テレビは叩けば直り
ファミコンは息を吹きかけると動いた
不良少年はなるべく太いズボンを履いて
不良少女はヨーヨーを持ち
お化け煙突がみえる駄菓子屋ではじめての万引きをおぼえ
誰のものかわからない土地や建物で待ち合わせ根城にし
用水路にはヒルがいて
親に買ってもらったものを無くすことは大事件で
せかいには怖い人たちがたくさんいたから目を忍んだ
どの町にも1人紫色のパーマをかけたおばさんがいて
どの町にも1人変なおじさんがいて
どの町にも1人関わってはいけない3つ上の先輩がいて
...

『健やかに生まれて十代で自分を構成するなにかのどこかが壊れて時間が過ぎ、その個所を修復しようと自分と向き合ってしまったが為に飛び降りや首吊りという終わりになってしまう人がいて、私は自分と向き合うという危険な行為を避けて爆弾を点火させずに生をやり過ごそうとしている卑怯者のひとりだ。

自分に纏わる死を嫌い他所で死ねという大勢に囲まれ、自分もそれであるという自覚もあまり無いまま社会性と生まれ持った倫理に八つ裂きにされながら、なおどうにかの不時着を人任せにした。

自己批判に自惚れた後、驚くほど滑らかに外への攻撃に発展した自分の心の動きに気付いたか。

私は人を殺している。

殺した人間の返り血のシャツを毎日曜洗濯しまるでそれが無かったかのように死人と遊びに出かける。

...

/皆既月食見たかい/

皆既月食にともなう、なう

442天王星月蝕あり。

蟻んこの月面着陸neu

イチゴかわいいアポロ号Me


「Gsp BIG prefecture」
岐路に立つ操の月
フェアトレードする襞
オーガニックムズムズ
綿花の海におちたいな
indigo blue の詩
反天地に蹌踉めく
kick outで滝見頃
飛蝗が超える高い山
トノサマの丁髷に受ける桔梗の紋
固く結ばれた阜部に恥部にカカオニブ


/糞ほんとうのことはいわんでくれるか草/
くそおもんない

『子供の肉は柔らかくて、飽和した脇腹とか、膝の軟骨が愛おしく思い、人間を覚えないでほしいと思った。
ただの草原を下っていた時、凪いだ知らない草に足を刈られる。
そこで膨らむ血は流産した母親の、私はいなかったそこには、悲鳴しか聞こえなくて、それは誰のもの?
我が子を街路樹に吊り肉を削いで冷蔵庫で4ヶ月熟成させ皆で七つになったこの子を祝おう。
皮は小太鼓に、保存した頭髪はショートケーキに植えよう。
笑顔が重なり、私とお前は一生ものだね。
骨に懐く犬。
秋のやわらかい午後。
朱に染まった私達はあの子のものだから、父や母や妹や友人や先生や、汗の染みたぬいぐるみ、
止まってしまった時計は電池を換えると動いた。

愛してたよ。

いつも踏切を通るとね、喫茶店の窓から楽しげなお姉さんたちがこっちを見るんだ。
声が聞こえる。
...

砂を
噛むような孤独が押し寄せる
午後四時半
水道水を公園までチャリでいって飲む事に意義がある
そういってチャリで父は多額の借金とともに消えた
家は雨戸をしめたまま
もっていけないものでごったがえした

なつかしいなあ
あの頃にメガマックはなかったけど
取り戻そうとする絆みたいな期待感は子供たちやそれぞれの大人たちの
勝手なベクトルで存在していたのだった

だがどうだ
網戸はやぶけたままで
庭木はぼうぼうに二階まで背をのばしてる
うえきばちはひからびて倒れ
金魚はねこにやられてしまった

お葬式の費用はガソリン代とたったの一時間
川に流してみる
潮の満ち引きの深い荒川の高架下でJRがとおるたびに
絡まった糸のような水面が反射する

ばいばーい

ばいばーい




〇現実に生きているということ
詩人が詩を書こうとするときは魂が舞い上がったり地獄巡りをしたり、尋常ではない世界に入り込むことも多々あるのだが、この詩集はそういった心理的な別世界への指向はなく、現実の枠組みの中で軽やかに思考している詩である。毎日生活するために歩く足と、思考をアウトプットするペン(またはキーボード)を持つ手、それが等身大で見える詩集だ。特に冒頭の「シの本」と最後の「裏にわには」の2作品では、夢想の中に詩があるのではなく、平凡な日常の繰り返しの中にキラリと光る詩が潜んでいることが描かれている。
...

甘い物を食べると
耳から音符が溢れるのが止まらなくなる
ひとがいました。
そのひとは

甘い物からの逃避
(例えばおみやげのクッキー配りとかいうテロ)を
恐れながらも
大胆に
今日もウクレレを奏でていたそうです。

ふと、耳からの音符
これをどうにか譜面に起すことができれば
自分の音楽活動に活かせると思った
そのひとは
甘い物をコストコから根こそぎ
ウーバーイーツの配送料にも構うこともなく
テーブルクロスがシワになる程
並べて

いざ実食
というときに
目の前の甘い物から
ぽろっと
あ い が落ちました。

ま もの
まもの
目の前の魔物の群れに
そのひとは慄き
でも食べ始めると止まらず...

僕が東京荒野という季刊雑誌を作ろうと思い立ったのは2014年の秋。8年前のちょうど今頃だったのではないかと思う。
その頃僕はギター1本の弾き語りをやっており、高円寺や下北沢のライブハウス、吉祥寺の路上などで自作の歌を歌っていた。
歌もギターも下手だったが声の大きさだけには自信があった。その証拠か、路上ライブをやって警官が来なかったことはほとんどなく、近くで歌っていたミュージシャンに、「もう少し小さな声でやってもらえませんか」と言われたことも2、3度ではなかった。
...

陽の光にあたりたい。栄光が欲しい。と突発的に思う時がある。
また、そういうのって虚しいなあ。と思う自分もいる。

日頃、お世話になっている人たちのためにもわずかでも良いから陽の光にあたりたい。
虚しいと思うのは100年早い。自分。
小学校2年生の時の習字の佳作以来の栄光をもぎ取りたい。そのうち。




アレクセイ渡辺

平野 A-smog
新宿のバスターミナルから出発、群馬県へ
伊香保温泉に到着

バスの中で席を立ち、降りたのは僕らとあと二組ぐらいだっただろうか

残り、つまりバスの乗客のそのほとんどは伊香保の先にある草津に向かうそうだ

宿に向かい荷物を下ろし、さっそく山あいの温泉街の探索に出る事にした

右に坂を上り、左に折り返しまた坂を上り、また右に坂を上りというのを繰り返す

20mか30mおきに< この様に織り成される
> コンクリートで整備された山道にそって商店街があった

しかし、何軒も列なるその商店は全てと言ってよいと思う

どこもシャッターが閉まっていた

焼き鳥ラーメンの昇りが立つシャッター、温泉まんじゅうをガラス越しに作っていただろうカウンターとシャッター、何屋だか想像がつかないシャッター、
...