過去の記事

僕がエロに目覚めたのは結構早いと思う
目覚めたというか元からみたいな
フルチンで走り回るとか
ちんこがあるとかないとか
ちんこが酸っぱい時は
兄姉の肩にちんこを乗せて
フレンチと叫んでみたり

旦那さんが仕事から帰ってくるのが遅い日の夜を選んでした。
お互いめちゃくちゃ緊張して、わたしはただひたすらに笑けちゃうし、Aくんは電話の向こうでお酒を飲みまくってた笑
話すことも何も決めていなかったけど、ただただ心地よいドキドキと、久しぶりに聞くAくんの声に酔った。これが恋の始まりだとは思わなかった。

2021年、9月に病気が発覚、12月に紹介状を持って北海道から東京の名医のもとへ。
3センチあるね。白い腫瘍が映った画像は何度見てもがっくりした。本当に脳腫瘍なんだって。
全国から患者さんが集まるので、何か月か待つことに。
手術の日、段取りを決めた。顔面麻痺はどれくらいの割合でなるのか、など聞いた。
今思うと徐々に治るなら別にどうってことはない。手術、術後が辛すぎて、気にしすぎることではなかった。
大船に乗ったつもりでいくしかないね、と。そうだね。うむ。
きっと、大丈夫だよ、と友人から。大丈夫だよ、は魔法の言葉だね。
大丈夫?と聞かれるより、大丈夫って言ってほしい。何かの歌詞かな
そのあと相談役みたいな人と手術までどう過ごせばいいのかなど
...

2022年6月12日、阿佐ヶ谷「よるのひるね」での朗読会で祐一さんと同席する。朗読会の主催者である奥主さん白糸さんに祐一さんが「歌人」「俳人」であるという紹介を受ける。
少し前に、新宿の思い出横丁で飲みながら一句ひねっていた自分は早速交換してもらった祐一さんのツイッターのダイレクトメッセージにその句を送ってみる。するとすぐに推敲案が返ってきた。
阿佐ヶ谷から北へ、同じバスに乗り途中まで一緒に帰り、この短歌ワークショップはそこからはじまることになる。

【もっとスポークンワードを!】
私は1995年にアレン・ギンズバーグの翻訳(フィリップ・グラスのCDの翻訳)を担当したことから、雑誌『アメリカンブックジャム』副編集長だった佐藤由美子と知り合い、1997年に高田馬場ベンズカフェで佐藤が始めたスポークンワードイベントに参加していた。ユニークな出演者たちの現代詩壇に影響されない自由さに、心動かされた。ちょうどアレン・ギンズバーグが亡くなった直後で、アメリカのヒップホップも知られるようになっていた。このイベントでは、一人芝居、和製ラップ、トーキングブルース、既成の歌詞や小説の朗読、自作詩の朗読、など多様な出演者がいて、FM放送でポエトリーリーディングをオンエアしていた、カオリン・タウミや室矢憲治らとも出会った。
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欠落とは、一種の満足感だ。
そもそも最初から自分の中には存在しないのだから、渇望することがない。

嬉しそうな返事が返ってくる
マメなAくんは毎回質問を入れてきてくれたので、会話が途切れることなく久しぶりに色んなそことを話した。普段、旦那さん以外の大人という大人と話すことがなかった私は、Aくんとの他愛ないやりとりや、日本語でなんの滞りもなく思っていることを伝えられ、また伝わるという喜びも大きく、日常が急にキラキラして、すべての色彩感覚が濃くなった。大袈裟でもなんでもなく

小学校の三年か四年かそのあたり、年齢でいうと八歳か九歳かそのあたり、俺たちの世界に男女の境界はなかった。いや、あったんだろうけど、俺の中には存在しなかった。俺は子どもで、自分は「子どもたち」というカテゴリーに所属していると思っていた。
そんな認識だったから、俺はなんとかくんに対しても、なんとか子さんに対しても同じようなスタンスで接していた。
サッカーでは男女関係なく身体ごとぶつかっていったし、身体に触れるのも、触れられるのも、それに対して何も思うことはなく暗くなるまで泥だらけになって遊んでいた。

私は、八人姉妹の長女として育ちました。これから話すことはまだ、妹がひとりしかいなかったときのことだと思います。
私はある日母に、私にもおちんちんがあるよ、といいました。確か、妹も、私もあるよといいました。
バカバカしい話なんですが、子どもの時自分のお小水が出るところを見て、そのうちこれが大きくなるぞと考えていたのです。男の子が兄弟にいなかったのできっとそんな妄想にかられたんでしょう。母は、最初は何でもないという顔をしていたように思います。
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性の目覚め、性欲、性被害、性的、性の商品化、性行為...広い意味合いで捉えられる分、個々が思う感情や意味合いも多岐に在る言葉だなと思う、性に対する価値観やそれらも伺えて自ら発するのが非常に恥ずかしいし怖かったりする、でもそれでいいと思う、俺はこれで発せられる感覚価値観秘匿性非明確中途半端等々他色々込めて全てが俺自身の考え方で在り、それが揺るぎない、なんてことは無く今後も色んな人から学んで変節を遂げるものだと述べておこう、そして求めるのは自他共に認められる本来意味の"性"である。

テーマに沿おう、皆が期待するであろうテーマに沿って、記し切る自信がない(その気もないと言う事)けど、結果どう記されるか期待を抱いてこれを記してみます。

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今回の文学フリマにあわせて『ありあけの月』というコピー本を作った。今回のイベントまでの準備としては、私の中でこれが一番大きな割合を占めていた。
試行錯誤してWordで原稿を作り、見た目をいい感じにする為に百均の紙売り場をうろつき、印刷後にミスに気づいて刷り直して、ホチキスを扱う際にうっかり指から出血して......。
そもそも、この冊子の詩群を書くことに関しても、紆余曲折(が適切な表現かわからないが)があった。
ありがたいことに、今年の二月に第一詩集『アクアリウムの驕り』を上梓させてもらったのだが、先々月だったか、平居謙先生が、多くの方とZoomにてこの詩集を巡り話し合う機会を設けてくださった。
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後々関わってくることなので
もう少し旦那さんとの話を書く

産後1年経つ頃に2人目が欲しくなり、排卵日を狙ったらまたすぐ2人目を妊娠した

2人目妊娠中はやっぱり何かと余裕があり、産後もなんてことない♪と思ってたら違った。全然違った。
上の子はまだ2歳になったばかりで、そこに新生児が加わった生活は想像の何倍も大変だった。産後うつもあり、妊娠中は大してしなかったケンカを産後にするようになった。しかも頻度が少なくなった代わりに?特大サイズ(離婚話付き)のもの。

あの人が下着泥棒だったなんてねえ〜

おかんが新聞見ながら父と大きな声でわめいていた。
チッ、今更〜?私はずっとあいつ嫌いだったよ 。やらしくてネチネチしてて

小学生の 私の部屋が見たいと、父の友達であるAが父に 頼み 断られていたのを知っていた。
父の友達だから、ワイワイ呑んだ後我が家に上がり込みくだ巻いて
その挙句にはダウンする、ゲロ吐くわ、なくわめくそんなオッチャンは
いくらもいたけどね、

あいつダウンしたフリして私の足触ったし!

お父ちゃん〜!なんであんな変なの仲間にするん?とずっと言いたかったんだよね!
ああ やっぱりね。

又ある時は
行ってらっしゃいと母と叔母達が促すドライブは叔母の彼の運転だった。
お彼岸の集まりでその日は予想に反して子供が私1人だった。

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