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詩を書く人にとって締め切りとは何だろうか。
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締め切りに追われてホテルで缶詰になって大作を仕上げる、なんていう流行作家の図があるが、詩人でそんなことをさせてもらえる人は滅多にいないだろう。そもそも詩の出版社は、ホテル代金どころか、原稿料を出すところさえほとんどない。
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しかし、ホテルに詰めようと、自宅の部屋で困ろうと、締め切りは無情にやってくる。そしてその中に詩の本質はある。
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過去の記事
「伝説の生き物」湯原昌泰
仮想というものについて考える時、僕は中島らもさんの言葉を思い出す。
「ここに見えないボールがあるとする。僕がそのボールを掴んで投げると、君はそれをキャッチしようとする。ではこのボールはあるのか?それともないのか?」
正しい抜粋ではないが、概ねこういった言葉だった。
「雨は、神さまのおっぱい」荒木田慧
母が死ぬところを見たかった。
訪問看護師のタムラさんは深い心をもつひとで、死の瞬間を受けとめるのがもし辛ければ、そこから目を逸らすことさえあなたは許されているのですよと私に教えてくれた。でも私が1年ちょっとのあいだ母のおむつを換えたのは、まさにその瞬間をこそ見るためだった。
夏の終わりに母は死んだ。乳がんだった。
最後のさいごのひと息を、ほっとつき終えるそのところを私は見た。
母が死んだら旅をしたいと私は思っていた。
「外国は危ないよお、気をつけなよお」細くなった声を揺らせて、そう母は心配した。あなたはその頃もうこの世にはいないのだ、だから心配することはないと私が答えると、ベッドの上の母はふと黙った。
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五 第三回公演 何を実現したかったか
前回、宣伝広告に関する話題から、表現活動に関する様々な話に軸がずれていってしまったのですが、今回は話題を、T-theaterの第三回公演「いったきり温泉」へと戻します。
この公演で僕がやりたかったのは、「偉そうでない舞台」というものでした。
人間は、一度自分を偉そうに見せようとすると、どこまでも欲望が働いていく。肩書きを求めたり、実績を求めたり。自分の企画に誘った相手の残した成果さえ、自分のものに取り込みたいのだと言わんばかりに、「僕はこれだけ凄いんです」病にかかってしまう。自分だって、そんな醜悪な状態になってしまうかもしれない。自分も含めて、そんなアホらしいトラップに陥った人間は、厭ほど見てきた。
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「お茶の子さいさい」西村太一
人の言葉を借りれば
お茶の子さいさい朝飯前だ。
僕は単純明快な事しか出来ない。
難しい仕事はいくらでもあるんだろうけど、清掃 警備 介護 なんか出来ない。
況してやコンビニのバイトなんか、
出来よう筈もない。
裏方ならちょっとの間は、
出来るかもしれないけど、
僕は何かを問題を起こさず
長続きする事が出来ない。
今は方々から人にお世話になっているから、今の生活を続けられるけど、
そういう事がなければ、
のたれ死ぬか、白骨死体で
発見されるのが、関の山だ。
僕には、実家や学歴など、
基盤が無い上に、原付や、
ヘルパーの初任者研修でも何でも、
難しいんです。
こんな僕が、一人前に
毎日をこなすなんて、現実的な話、
あり得ません。
よぼよぼの後期高齢者の歩幅に合わせて
散歩がてらに付き添うしか、出来ない。
、と皆さんもお気づきでしょうが、
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「羽根」馬野ミキ
自分以外の男って不必要だなと思う
そういった本能
世界各国の一番かわいい女に種付けをして
西暦五千年後に地上には俺の子孫だけが繁栄しました
みたいなの素晴らしいじゃん
創造的だし
ファンタジーだと思う
ホビットもびっくりみたいなw
ダークエルフもすごい白いみたいなwww
雑記・たわごと「たちつてと」9オビ・イルテッシュ
千葉慎一とブルース・リーが戦っている現実
「tiny tiny」
小さくてかわいいヤツって嫌いだね
小さいだけ
親切な巨人も然り
わるいやつらの到来だ
「恥辱のなんちゃら」
「夏の怪談」ヒラノ
このような時期ですから怖い話にご興味ございませんか?
怪談
正確には怖い話というよりは不思議で仕方ないというお話です
血まみれの女も、半透明の姿も、恨めしい顔もありません
先に申し上げると 、僕には霊感ですとかスピリチュアルですとかそういったものとは無縁の人間だと自己評価しております
でも、あるんです、有りました何回か
十数年前の話です
当時の僕といえば 巷で流行っていた 合法ハーブにどっぷりはまってしまっていました
後に精神病院に強制措置入院されるに至りました
そこまでぶっ壊れる前のお話ですが…
当時、銀座の三越でマネキンや什器のレイアウトをしていました
日曜日の20時30分集合、要は営業終了後に、キレイなお姉さん方が帰ったタイミングで僕らがマネキンのディスプレイや什器を各階に置いたりする仕事をしていました
...
「わたしの血潮で蠢く者よ」山吹いなり
女であるかとか
母親としてだとか
仕事がどうだとか
どの肩書きを 背負おうとも
どれもサイズが合わなくて
お腹を空かせた 浮浪者は
ひっそりと息を潜ませて
社会のレールを覗き見る
何かを背負って勝負をするってとてもかっこいいね
だけど君、それはあまりにも宿命がすぎるんじゃないか?
ほらほら 顔を無くした顔がごろごろと横たわり
こんなにも たくさん蠢いて
ちいさな悲鳴が聞こえているよ
私には それが 耳障りで
それにお腹も空かせているから
ついつい 魔が差して
言葉を君ごと食べ尽くしてしまうんだ
寂しくて 悲しい味がするけどコリコリとした歯ごたえで
噛めば噛むほど 悲鳴は小さくなるから
それは もう 食べごたえがあった
歯が数本欠けたけれど飲み込んだ
「未踏の地」 西村太一
僕は季節を描いて
季節を塗り潰していくのではなく、
はたまた何度も手を加えるのでもなく、
他人に芸術的な部分を
感じてもらえる物を書きたい。
創作ってそういうものですよね
だから僕は勘違いでもしているように、
まんまな事を書いて、
自己満足している。
こう書くと、響きは悪いけど、
実際は悪い物ではないと思う。
数々の詩人や作家が
語り尽くしてもう聞きあきたような
事と重複していたら、
僕の文は屑籠行きだと思いますけど、
僕にとっては新境地なんですけどね。
昔、施設で僕の事を、
洗いざらい話した担当の職員さんが、
僕の事を相当非凡だと言っていた。
恥を恥とも思わずに、
やりたいようにやっていたから、
むっちゃくちゃでした。
あ~それにしても退屈だな~、
まあいいや、のんびり過ごそう。
「詩は死に似ている」椿美砂子
詩を書きだしたのは物心ついてからだ
幼い頃から人が死んだらどうなるのだろうと
不思議で仕方がなかった
子供部屋には本棚があり絵本がいっぱいあった
著者は生きている人、この世にいない人
でも不思議だったのは絵本の中には確実に人がいて、話しかけてくれるのだ
それは伝言のように
詩集は詩人である実家の元に毎日のように届いたのでポストに届けられたそれを父に手渡した
父はペーパーナイフや鋏ですうっと封を開けすぐ読み出す
お休みの日は私はそれを隅から隅迄読んで過ごした 父がペンで線引きをしている箇所は何度も読み返した
何故ここに線が引いてあるのだろうと
詩を読んでいるうちに
死ぬってどんななのだろう
生きてるってなんなのだろう
もしかしたら自分はこの世に存在しないのではないだろうかすら思った
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小学生のころよく作文をよく書かされた。遠足のあとや運動会のあとには書くことがあっても、先生が風邪でお休みされた日に別の先生が変わりに教室に入って来られて「じゃあ今日は、好きなことを作文に書いてください。」そういう類の時間はどうにも苦手だった。そんな時は〈書けない、書けない、どうしたら書けるのか〉みたいに呻くような呪文のような言葉を書いた。多くの人に共通する体験とみえて、〈え?あなたも?笑〉みたいな感じで盛り上がることがある。
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「未来への伝言」 待子あかね
詩を書いています待子あかねと申します。詩を書き始めたと、はっきりと覚えているのは、高校3年の秋。日記の延長で、言葉を綴り始めました。毎日のように繰り返し書いていると、少し心が静かになっていったことを覚えています。ただ、その時は、それを誰に見せることもありませんでした。今も、箪笥の奥にあり、時々、恥ずかしく情けなく懐かしく、読み返しています。
「毒唱感想文・村上春樹『ノルウェーの森』」ヒラノ
ノルウェーの森を最初に読んだのは、板橋警察署だった
お母さんの差し入れ
返却されなかった
そうして官本は増えていく
警察はだらし無い、許しがたいほどに
2回目に読んだのは今年だったかな?どっかの留置所
上巻、下巻でイントロとアウトロが噛ませてある
時系列的にどちらが過去の発言でどちらが現在の発言なのか?
とても興味深く読了後も余韻が残る
この構成は今のディズニーに買収されたマーベルコミックスの映画の組み立てにも見られる
タイトルのビートルズの曲は当時まだ僕は自発的に聴いた事は無かった
作品内で、
ヒロイン直子の施設でのお姉さん役となるレイコさん
レイコさんもまた施設に収容されている心の病気だった
レイコさんがバランスを崩したエピソードはこう書かれてある
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「周辺シ 7」クヮン・アイ・ユウ
久々に擦り傷を作った。これを書いている今、ようやく傷口の一部に薄い膜が張って来た。そのすぐ下では今も水分を含んでいるのが感じられる。痛みがある。昨夜にはまだ表面の全てがジュクジュクとしていたのに、人間の身体はすごいなと思う。子どもの頃にはこんな風に一つ一つの傷とじっくり向き合うことはなくて、次から次に新しい傷を作っていた。だから、いつ膜が張ったのかなんてことは、ただの一つだって覚えていない。
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「『青い小鳥』三連」9オビ・イルテッシュ
序;小鳥たちの窠は街路樹になった。そして今日、とうとう、その木も伐採され、かへるところのなくなった小鳥たちは、電線に止まって、群れをなし、夕空を返し続けた。
「雷鳴(thunderclap)」
夜中
横顔
腕
絡ませて
髪
冷たい乳房
つまむ
指
くわえて
噛む
口
筋の通った
腹
青い月が雲に霞む
微かに
高い
鼻
ヤスリのような
髭
力強い
歯
しっかりとした
声
上下する
喉
舐める
首から
「ダイエット」西村太一
何だか最近食べる量が減ったな~
と思っていたんですけど、
体重減るかも
まだまだヘルスメーターに乗らないけど
このまま行くと期待出来そう
僕は美味しいものには意地汚いので、
三週間位前に、鮪とサーモンの刺身で、
刺身どんぶりにして、
美味しかった余韻がまだ残っている。
で、今悶々と買いに行っちゃおうかな
と悩んでいるところ。
刺身どんぶりなんかてんこもり食べたら
ダイエットは失敗します。
でもよっぽど鮪が好きで、
近くのスーパーバリューへ向かう時、
幻聴で、マグロ捕り漁船ですよ~と
繰り返し聞こえてくる。
やっぱダイエットしたいから
刺身はわきまえてやめます。
あるものを食べます。
四 宣伝ということ ~ 作家性ということ
余り記憶が確かではないのだが、大正時代だったかに東京の本郷にあった建物に「二笑亭」というのがある。それなりの資産家が自分の望みどおりの家を建てようとしたもので、現存していない。建物の持ち主は、禁治産者とされ、死後に二笑亭は解体された。
例えば、入り口に建物のひし形の枠組みが重ねられる。まるで、家に入ろうとする誰をも転ばせようとするかのようである。来客のための帽子掛けは、とても手が届かない高さに設置されている。板壁の節穴には魚眼レンズが仕込まれている。周囲を拒みたいという強い気持ちと、真っ当に世間様と関わらないとならないという強迫観念とのせめぎ合いの中で生まれた建築ではなかったかという分析もある。
「Bald・ハゲ・は〜げ〜.」5or6
糞尿をこそぎ取った大安から正午までの連鎖反応はカジノ法案と外遊で大半を占めるとれたて外資のマグロのようだ
円安とドル高を初売りして貿易ざんまいの社長が円をばら撒く
あー
全てが遅すぎる
時々
降臨してきたかのように
格言を撒き散らかして消える数字から来たニートは働け
そして生産しろ
非生産は排除される
卵巣が腐ったカマキリのメスに頭から食われる
マイノリティーに対する
コンプライアンスからの脱却をはかるTV
つまり
MTKDHTからは
五体満足で
大した持病もなく太った人達を痩せさせるコーナーが始まり
ゲストはその過程を見てワイプに泣き顔を見せる
それを飯を食いながら家族で見ていると
緊急速報のテロップが流れ
北朝鮮からミサイルが発射されました
の文字が白く
白くはっきりと
汗をかいた脂肪のついた腹の上で跳ね上がり
...
「絶望していろ、バーカを詠んで」5or6
モリマサ公さんの詩集みると自分が1人で絶望しながら生きていた20代後半を思い出す。ジェネレーションX、バブルが終わり、残りカスをすいながら氷河期を耐えた、大半の負け犬達の1人だった時代。誰かを疎み誰かのせいにして煌びやかな世界を夢見たあの時代。断片的な絶望の淵に腰掛けて朝まで騒いでいたセンター街や歌舞伎町も今はもう無い。それでも立ちすくむ止まれの標識を蹴り上げ、カラスが突く黒いゴミ袋を蹴散らして帰宅してもカメラ録画もネット垂れ込みも炎上もなく、ただ一緒に帰る俺たちと私たちが発したバーカだけで世の中の規則を確認していたあの時代を思い出す。
俺が好きな詩は虹、ベルリン、タイムマシーンが特に好きかな。
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