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熱を出すと同じ夢を見ていました

当時、確か東京ガスのCMでオレンジ色1色の夕焼けの様な背景に、影絵の様な真っ黒い、そして縦笛を持ったハメルーンの笛吹き男の様なキャラクターがでこぼこ道だかを歩いていく、という内容でした

調べたが具体的な画像が検索で上がって来ない

変だな…

何か子供向け番組の開始直前に毎回放映されていたと記憶しています

オレンジと黒のコントラスト

まだ子供だった僕はしょっちゅう熱を出しては親を困らせていました

「風邪だしミカン食べましょう」となればオレンジ色の吐瀉物を枕に吐き出し、

「風邪だからイチゴ食べましょう」となれば真っ赤な吐瀉物を
枕に吐き出したり、
この時ばかりは両親は「吐血じゃないの?!」とちょっとしたパニックになりました(さっき食べたイチゴです)

そして…
...

機会があれば見ようかなといった程度の認識でいたのだけれど、詩人の石渡紀美さんがSNS上に、この映画の(多分宣伝のための)抜粋動画を、かなり強い嫌悪感とともに紹介しているのに出会った。その、二十分余りの映像について、少し僕の考えをまとめてみたい。

序詩


鼠たちの群が半島へと追い詰められている
鳴き声もたてず 地を馳せる彼らは
けれど自分たちが追われている自覚もない
半島にただ集まり 困惑し 沈黙を選び
言葉にしないまま恐怖に駆られ ただ走る
逃げ場のない場所へと向けて ただ走る

群になってしまった鼠には
まるでそれぞれに名前がないようだ
けれど鼠たちにも生命はあり 守るべき自分がある
もしもかけがえのないただ一つの存在が
ないがしろにされてもしょうがないのだと
そんなふうに思い込まされている時代が
目の前に訪れているのだとしたら

鼠たちの群が走っている 辿り着く先に
何かあるのではないかと そんな思いのままに
半島の先から行く先はないというのに
そこから何処かへと行くことができなければ
自分たちで自分を追い詰め ただ
大地を覆(おお)い尽くし

名前を奪われた群 けれど
...

裁判にかかる悪夢を見た。狭い密室にて、異常を来し、精神鑑定となった。質問に答えもろくにせず、馬の首が地平線までずらりと並んでる、と言った。母親の周りにいろんな家柄の方々の、お母様達が集合写真で写っている写真があるんだけど、それとは別の写真の連想で、それを元に母親の隣に椅子に座っているおしとやかそうな美女が、1人だけ母に悪魔のように意地悪な事をしていて、他のひとは皆さんカオナシの絵を簡易に書いた。母の何かの集合写真は、その2枚大切にしていたのですが、その写真も今はありません。それから随分臥薪嘗胆して精進しましたが、疲れてしまいました。何十万とお給料が貰えるほどでは無いし。精精皆勤でも月に8万位です。ここは日本です。それでご飯が満足に食べられる訳では無いです。能力が足りずで出来もしないお仕...

ほんの数年前は、僕は下唇をだらしなく下げ、よく歯を噛み締めていたので、エラが浮かび上がり、変な顔になるようでした。
今でも変よと言われれば、それまでですが。それから耳下腺の辺りを噛み締めずに、口を閉じ、頤筋を鍛えるようにしてきました。
こんな事迄しないといけないとは。ちょっと雨が降っているようですが、ほんわかしています。もうそろそろご飯を炊かないと。
ありあわせで済ませます。自然な格好で、無理な体勢をとらなければ、肋間神経痛にもならないし、どこもつりません。そろそろかな。アシダカ蜘蛛が、変な虫や壁蝨を殲滅してくれたかな。最近よく眠れますが、早くに起きてしまいます。タバコプカプカ。カフェインは薄め。驚く事に、昨日と今日で、2万円弱お金を使ってしまいました。電気代の支払いもあったし。払えて良かった。

明日を見据えて、今日もいつも通り。とは言っても、何か突き動かす物が欲しい。タバコも接客業では遠慮がち。ほんの少しだけ。仕事モードに皆様変わりますよ。僕って簡単な人間関係と作業しか出来ない。あのマフィアみたいな梟悪集団を一番簡単なようにしか捉えられない。自由形で流れているのだから、難しいのは仕事の伎倆という感じになる。どんなに悔しい思いになっても次へ僕を突き動かすのはあのライターだ。実在しない自分のイメージだけの僕自身だ。私自身だ。タバコ代欲しさに全ては一変した。ごめんなさい、ライターって作家ではなく火を付けるライターです。
明日を照らすライター失くした
このまま何かに背中を押されて
明日へ明日へ只歩き続ける

宗教色が濃い1人妄想に耽っていた。考えが偏狭になっていた。昔読んだ、精神科に入院した若い人がテーマの、壁を壊している状態には絶対なりたくないと思っていたのに、悪い方へ悪い方へ落ちていった。朝、少し寒い中、外れかけているバリケードを潜って栗林に入り、いがしかないな。いがではない栗の殻も、実がきちんと回収されているようだった。何かでっかい栗が面白いから、と探してみた。昼間、西国分寺辺りまでてくてくと歩いて行った時、コンビニにて用を足し、カレーパンマンを買おうとして、レジ打ちをしてもらっていて、顔を見上げたら、頭が実の無い毬栗のような人がやっているように見えた。頭の中身が少ししかなかったら、僕よりずっとどっぷり妄想に浸かっている筈。いやー、都会に居乍らしてきちんとして戴いて、気分が晴れた。僕...

僕は愉快な事が大好きです。大分やらかしました。職場にて取り返しのつかない事迄。頭の中が真っ白になる迄、愉快に感じることをいろいろ探しました。もう愉快なネタも見当たらなくなった頃、冬が来た。幻聴が急にONになった。取り敢えずそんなこんなしながら毎日過ごしていた。脳無し人間の声VS愉快犯。煩い煩い、とシャワーの柄で浴室の壁をがんがん殴っていた。ある晩は玄関扉に靴を挟んで、狸でも入って来ないかなと、浴室のドアも開けて湯に浸かっていた。新しいやつ新しいやつ、と漁るようにクエスチョンマークを探索していた。するととうとうお迎えが来た。部屋がズタボロになっていた。集合住宅に所在地が移った。それまでTVと話したり、妄想にはなるけど乾きを潤す物が無くて、大変だったので、やっと開放されると思った。結局そこ...

下腹が出た女に、
この男よくちんこ立つなぁと思う。
私が男だったら立たないよなぁと、
セックスしながらぼんやり考える。
美女に相手をされるのは難しいから、
こんな下腹出女と、
目をつぶってセックスしてるんだろうな。
みんな、負の性欲に、負けるんだ。

あなたはだまされていると人が言う。
あなたのような障害のある人間とセックスする人間は悪い奴だと言う。
私の意思でしていることなのに。

児童養護施設での生活を記録した「大きな家」という映画を観た。接することによって、いろいろと考えさせられる作品であった。
この映画の中では、「児童養護施設」という存在に対する先入観に基づいた描き方が一切排除されている。そこで当たり前に生活している子どもたちの姿が、ただ静かに描かれている。

人間の心の中に、偏見や差別意識というのが生まれていくのは、相手のことを知ろうとしないからだと僕は考えている。
...

「ご飯はかまどで炊くと、美味しいんだって」
「誰が言ってた?」
「ここの台所の幽霊が言ってた」
「死んでまでそんな事言いたいかな?」
「生きてたって、案外そういう事でしょ」
「そう言えば公園に、枝垂れ桜が咲いてたよ」
「珍しいわね、あなた一人で桜なんか見て、幽霊でもいた?」
「子供が 『小さなお葬式』って遊んでた」
「今の子は本気と書いて、マジと読まないわね」
「ところで幽霊って、また出るのかな」
「大丈夫、もう死ぬんだって」
「根気ないな」
「ベランダから、桜見えるかなあ」
「もう夕暮れなんじゃない」
「頑張った人にしか見えない夕焼けって、あると思うわ」
「そもそも夕焼けを、見たいかどうか」
「あなたは私が夕陽になって、沈んで行くところまで、見てなさいよ」
「君さえいたら何も要らないって頃に、君がいてくれたら良かったのに」...

言葉は武器に
知識は盾となる
そんな時代だから
口を噤んで
鼻歌を唄った
瞳の中に広がる羊雲の群れ

あの空を泳ぐためには
心を空っぽしなくてはいけません
あの空で泳ぎ続けたいのであれば
魂を掴んでおかなくてはいけません
冬空を泳ぐ凧のように

風のない世界ならば
寝転がっていましょう
アスファルトの上
優しさを継ぎ接ぎ
目には見えない幸福を
布団代わりにして

意識は螺旋階段を降りていく
足音と心音の区別がつかなくなる
眠りの扉の前に立ち
漸く気が付くのだ
魂を掴んだままでは
扉の向こうへ行けないことに

見えないものばかりを探していたら
何も見えなくなったみたいに
今では目も鼻も口もない
瞼の中に吊り下げたままの
星のビーズは


よぉ、お兄さん。見ない顔だね。最近この街に越してきたのか。
良かったら一緒に呑まないかい?
さっきまで酒盛りしてたんだが皆帰っちゃってさ。
寂しかったところなんだ。

へぇ、お兄さん有名な新人賞を取ったんだ。
マスター、この子に一杯出しておくれ。
そいつは前途有望だね。将来が楽しみだ。
あっ、そうだ、おいらも仲間に入れておくれよ。
おいら、これでも昔は巷で有名だったんだ。
悪い思いはさせないからさ、一緒に楽しいことをやろうじゃないか。
えっ?過去にすがる者とは仕事ができないって?
なんだ、そうかい、そいつは残念だなぁ。

その夜はそんな感じで別れたんだ。

一杯のバーボン、一杯のスコッチ、一杯のビール。
相も変わらず飲んでたんだ、マスターが怪訝な顔をしていたっけ。
そんな夜のことだった。

あれ?また会ったね、お兄さん。
...

4 日本のロックに関して誤って語られていること

(1) そもそもロックって何だろう

この連載の初期に、ボリス・ヴィアンというフランスの作家のことを書いた。その多才さに関しては、既に紹介している。音楽評論家として、ジャズが全盛の時代からロックンロールがその位置を奪っていく時代を経験している。
そうした時代を、僕は自分自身の実体験としては知らない。
なので、見当違いのことを記述してしまうかもしれない。しかし、何度か述べたように、僕は音楽に関する「専門家」ではない。だから、誤謬に関しての訂正が行われることに抵抗はない。そうした気持ちで、この連載を続けている。

ジャズの生演奏に耳を傾けることが出来る店が、1960年代(あるいはそれ以前)には東京のあちこちにあったらしい。(今でも健在な場所はある。)...

表現者として、僕にはまだまだやりたいことが沢山ある。そうした「次の目的」の一つが、「叙事詩を描くこと」である。というか、叙事詩を、何度も書こうと試みてきた。

2020年のコロナ禍以前に遡るのであるが、僕は「海の時代へ」という叙事詩を書いてみた。SNSでの分載という形であった。執筆直前に読んだ、鈴木大介氏の書作には大きな影響を受けた。
本来、救済のための制度によって、かえって生活の場を失い、追い込まれていく子らの存在は、僕にとっては衝撃的なものであった。僕自身が「きれいごと」によって傷つけられた、そんな子どものであったことも思い出した。
...

ついに、もうすぐ、あれが始まってしまう。わたしの住む大阪で、13日から。毎日の通勤電車やバスが混むだろうか。街も道も店もますますごった返しそうである。そもそもわたしはあれの開催を迷惑だとしか思っていない。だから街中でポスターを目にしたときやテレビで紹介されているときぐらいしか情報を仕入れていない。入場券を買うのにかなり踏み込んだ個人情報を開け渡さないといけないと聞くし、具体的にどこ駅が最寄りなのかも知らないし、調べる気もない。わざわざ検索すること自体に歪な敗北感がある。この国では近年、地震や山林火災など災害がたくさんあったのだし、いっそ中止にして費用はその復興に充ててくれと思ったけれど結局そうはならなかったので、今はただ、なるべく事故やトラブルなく、さっさと終わってほしい。


自宅へ歩いて帰る
1人暮らしの2DK

見える物と言えばスカスカの車道、青いゴミ収集車、黒いタクシー、現場に向かう白いハイエース
それとコンテナを引っ張るどでかいトラック

乱暴なスピード
通ると、ちょっとアスファルが揺れる